1945年8月8日のカミュの社説

  • 2020.08.08 Saturday
  • 01:56

1945年8月8日のコンバ紙上におけるカミュの社説です。

広島の原爆投下から2日後という極めて早い段階の厳しい批判です。

 

「世界は見てのとおりのもの、つまり取るに足りないものだ。ラジオ、新聞、情報機関が原子力爆弾について一斉に始めた恐ろしい合唱を聞いた誰もが昨日から知っていることである。

 

確かに、熱狂的なコメントの渦の中で、中規模のどのような街であっても、サッカーボールのサイズの爆弾で完全に破壊されつくしてしまうということを私たちは知った。アメリカ、イギリスそしてフランスの新聞は将来、過去、発明者、費用、平和のための用途と戦争の中における効果、政治的帰結、また原子爆弾の独立的な性質などにいたるまでを麗しい文章でもって拡散する。

私たちの考えは次の一つの文章で言い尽くされる。機械的文明は、その野蛮さの極限に達したのだ。私たちは、近い将来において、集団的自殺か科学的成果の知的な利用かを選ばなければならないだろう。

 

その間、人々が何世紀にもわたり経験してきた破壊の熱狂の中でも最も恐ろしいもののためにまず利用された発見をこのように祝うことの中に下劣さがあると考えることは許されるだろう。いかなる制御も効かない、正義そして人々のささやかな幸せに全く関心を寄せることのない暴力に引き裂かれた世界の中で、科学は組織的な殺人に没頭し、おそらく誰も、変わることのない理想を持ち続けるのでなければ、それが驚くべきことであるとすら思わなくなる

発見は、それ自体として記録され、コメントされ、人がその運命について正しい理解を得られるように世界に示されなければならない。しかしこの恐ろしい情報を、気取ったあるいはユーモラスな文書で包むということは、およそ耐えられるものではない。

 

既に、責めさいなまれた世界で私たちは息をすることができなかった。今、おそらく最終的なものとなるであろう新たな恐怖が私たちの前に示された。これが人類に与えられた最後のチャンスかも知れない。結局のところそれは新しい速報の内容になるだけかも知れない。しかしそれはいくばくかの検討と、より多くの沈黙の理由となるだろう。

 

他にも、新聞が私たちに提供する空想小説をより注意して扱わなければならない理由がある。ロイターの外交担当の編集者が、この発明がこれまでの条約を無効にし、ポツダムの決定自体も失効させると述べ、ロシア軍がケーニヒスベルクにいようがトルコのダーダネルスにいようが関係ないと指摘するのを見るとき、科学の無私無欲さと遠くかけ離れた意図の美しい合唱がそこにあると思わざるを得ない。」